2020/11/08 12:00
ハヤシライス生活は計4日持ちました。
冷凍しながらでしたが、さすがに持ちますね。
人によっては飽きてしまうかもしれませんが、
私の場合、基本的には何日間か同じものでも美味ければ問題はありません。
結局、作れるレパートリーが少ないのと、
味に対してのこだわりがないというか、
まあ簡単に言えば「舌が貧乏」なのでしょう。
まぁでも美味しかったですよ。
さすがハヤシライス!四大ルー料理なだけあります!
抜群の安定感で安心感のある美味しさでした。
しかも作り置きの定番料理だから楽~!
ウッシーありがとう!
ってタイトルにあるのはそのウッシー(牛)ではありません!
ウッシーですよ。
前回途中で終わってしまった内田篤人さんの引退のこと!
私にとって令和2年はコロナかウッシーの引退か
というぐらい大きな出来事でした。
そういえば今更感満載なんですけど、
一応なぜ呼び方が「ウッチー」ではなく「ウッシーなのか?」というと
ドイツ語では「chi」は「シ」と発音するからですね。
ウッシーファンなら初歩も初歩、説明不要なんですが一応補足までに。
私もウッシーがドイツへ移籍してから知ったことなんですけど
大変勉強になります。
これはサッカーファンなら誰しもが感じることだと思うのですが、
私はサッカーを通してその国や街の歴史や文化を学ぶことが多いです。
「chi」の発音のような言語もしかりです。
英語もイタリア語もスペイン語もドイツ語も
実況やサッカー選手のインタビューなどを聞き、
よくわからなくても「単語」を拾い、
「意味」を知ることも少なくありません。
ハッキリ言って教科書を読むよりもずっと学べることが多いと思ってます。
中南米やヨーロッパにおいてサッカーは
国や街の文化として根付いています。
地域によってはその場所で生きることと、
サッカー(クラブ)が好きであることは同義であるといっても
過言ではないかもしれません。
そんな国や街のサッカーを見るということは
国や街の歴史や文化を知ることでもあるのです。
クラブの歴史を知ることで街の歴史を知ることができます。
街の歴史を知ればそこに住む人を知ることにつながります。
例えばスペインリーグには「スーペルクラシコ」と呼ばれる
FCバルセロナとレアルマドリードの対戦があります。
両チームは長きにわたるライバル関係にあり、
その白熱した試合は国を超えた世界中が注目する一戦となっています。
人々を熱狂させているのは超一流のスター軍団同士による
ハイレベルな闘いもさることながら、
両チームの歴史的な背景もその要因となっています。
両チームの因縁は何もサッカーの試合から生まれたわけではありません。
スペインで軍事独裁政権が誕生して以降、
フランコ政権の下、中央集権化が推し進められる中で
そのシンボリック的な存在として扱われたのがレアルマドリードです。
世界に向けて自らの力の誇示、宣伝のためには
当時すでに欧州において巨人としての地位を築いていた
レアルマドリードの存在はうってつけで、
当時の政権にとってレアルマドリードの勝利は
恰好のアピール材料だったのかもしれません。
そんなフランコ政権下において「ひいき」や「特別扱い」といった
厚遇を受けていたとされるレアルマドリードに対して、
様々な弾圧を受けていたのがカタルーニャを含めた地方の人々。
独自の言語の使用禁止、独自の歌や踊りといった
尊厳にすらかかわるアイデンティティを否定される中、
唯一アイデンティティを保ち、
中央政権と闘う手段として最後に残ったのが
サッカーであり、FCバルセロナだったわけです。
この両者の関係は単なる強敵同士の優勝争いからくるライバルではなく、
こういった歴史的背景もあってのことであり、
当時の人々の思い、街や歴史の重みが受け継がれ、
今日のライバル関係があるのです。
そういった様々な要素が絡み合い、織り成すからこそ
世界でも屈指の一戦が生まれるわけです。
時代を越え、街を越え、国を越え、
今もなお人々を熱狂させる理由は
歴史や文化、そこに住む人々の想いがあるからこそなんですね。
ざっと簡単に触れただけですけど、
この「スーペルクラシコ」1つとっても
クラブの成り立ち、街や国の歴史や文化、そこに暮らす人々の想いを
多少なりとも感じ取り、知ることができるんです。
これほどの教科書はそうはないでしょう。
今はそうではなくなりましたが、
まだ学生だった頃、私にとって月刊で発売されるサッカー雑誌を読むことは
何よりも至福のときでした。
それはサッカーの放送が少なかったということもあったのですが、
それ以上にまだ見ぬ「世界」を見ている感覚とでもいうのでしょうか?
何か世界を旅している感覚だったのかもしれません。
試合のこと、選手のこと、街や国に思いをはせる。
文字を読み、写真を見て、想像する世界。
いったいどれほどのスタジアムでどれほどの熱狂があるのか?
どんな凄いプレーで、どんなエンターテイメントが生まれているのか?
もうドキドキワクワクしながら
翌月の発売まで穴が開くほど何度も何度も読み返した記憶があります。
やはりここでも学ぶことは多かったと思います。
さてウッシーです。
記憶があいまいなんですけど
確かウッシーの名前を最初に目にしたのは
2月ごろのJリーグでのキャンプのときだったと思います。
スポーツ新聞で
「JKルーキー・・・」じゃなくって、
「高卒ルーキースタメンか?」
的な内容だったと思うんですが、
まずそれだけでも目を惹きました。
なぜならそれは常勝・鹿島アントラーズでのことだったからです。
今でこそ世代交代を推し進める真っただ中で、
そこまでのタレントを抱えているわけではありませんが、
やはり「鹿島」といえば最多タイトルを保持している
押しも押されぬJリーグ屈指の「強豪クラブ」であり、
これまでも数多くの日本代表を輩出してきた名門クラブです。
そこでレギュラーを獲ることはJリーグのクラブの中でも
最も難しいといわれるほどで、ベンチ入りするだけでも凄いことでした。
ましてやそれが「JK」じゃなくって、高卒のルーキーともなれば
目を惹くのも当然だったと思います。
ウッシーが入団したのは2006年(シーズン)。
確かこの頃の鹿島は2001年を最後に優勝から遠ざかっていて、
2001年以降、ブラジル人選手中心のチーム作りから
日本人選手を中心にしたチーム作りを試みるも、
なかなか結果に結びつかない煮え切らないシーズンが続いていた時期だと
記憶しています。
鹿島が今後どうなっていくかわかりませんが、
私の鹿島を見るときのポイントは「サイドバック」です。
鹿島は伝統的に「ブラジルスタイル」というのもありますが、
強いとき、タイトルを獲るときは必ずといっていいほど
左右にバランスよく優秀なサイドバックが揃っています。
鹿島の強さを表す言葉として、
過去によく用いられた言葉の1つに「バランス」があります。
それはこれまでの闘い方を見れば一目瞭然で
鹿島のサッカーを見ても特別驚くような戦術はありません。
基本的なシステムは今や鹿島の伝統的なスタイルとして定着している
「4-4-2」。
4人のDF、4人のMF、2人のFWで構成されたスタイルは
縦、横の並びでその時折に多少の変化はあるものの、
配置位置を見ればサイド、中央ともに「穴(スペース)」がなく、
また、攻守両面において数的な優位性を保ちやすいなど、
鹿島の安定感を象徴しているようなシステムとなっています。
攻守のパフォーマンスは決してどちらかに比重を置きすぎることはなく、
常にリスクマネージメントされており、
主導権を握ればボールを支配し、コントロールする、
相手が主導権を握れば耐えながらカウンターを狙う、
決して派手なことをすることはなく、また何か形に固執することもなく、
時に泥臭くも「勝つ」ということを常に念頭に置いた闘い方に徹しています。
そつなく何でもできて、どんな状況にも対応できる・・・
それを可能とするのが片寄りのない攻守における「バランス力」であり、
それこそが鹿島の強みであると。
その優れたバランス力を最もわかりやすく表しているのが
左右の「サイドバック」なんです。
それは単なる「攻撃時の強み」という意味ではなく、
鹿島ですからその時代その時代、
各ポジションに優秀な選手がいるのは当然なんですけど、
例えば片方のサイドバックに不動のスタメンがいて、
もう片方がなかなか固定できないときがありました。
こういうときの鹿島は強みのバランスを維持することができず、
自慢の盤石の試合運びはできていません。
片方がいくら攻守にサイドを制圧しようと、
もう片方が押し込まれ、崩される、または崩されまいと
他のポジションの選手の重心が片方に片寄ることで
全体のバランスを崩し、機能不全に陥ることもありました。
これは私個人としても大変興味深いことで、
サッカーにおいてバランスを崩すとどういうことになるのか?
たとえ小さな「ほころび」のようなものであっても
修正できなければ「ほころび」から全体に「波及」していくこと、
いったんバランスを崩せばどんなチームであっても
攻守両面において歯車が狂い、機能しなくなるということ、
サッカーの難しさと面白さを実感し、勉強になった記憶があります。
当時、ウッシーが入団したころの鹿島の右サイドバックには
元日本代表の名良橋晃さんもいましたが、
年齢的に大ベテランの域に入っていたこと、ケガも多くなっていたことで、
固定できずにいたポジションでした。
右サイドバックの固定は鹿島にとっては近々の課題だったんですね。
そこに入団してきたのがウッシーこと内田篤人さんでした。
レギュラー争いが厳しい鹿島にあって、
穴にもなっていたポジションとはいえ
高卒ルーキーがスタメンに名を連ねる。
それだけで興味がわきましたよ。
確か初めて見たときの第一印象は
「細いな」と「速いな」だったと思います。
身体ができていない部分とスプリントの部分は
ポジティブな意味でもネガティブな意味でも
「まあ高校生だしね」的な感じで観ていたと思います。
そして驚いたのはオーバーラップのタイミングの良さ。
「ひょうひょう」というのか「何気なく」というんでしょうか?
表現が難しいのですが、相手の裏を取るのが上手くて、
鹿島のスペースの作り方、使い方の上手さもあるのでしょうけど、
抜群のタイミングでスルスルスル~って感じで上がっていくんですから。
そして何より驚いたのは「堂々とプレーしていた」ことです。
実際、鹿島のサイドバックで持ち味の出せない選手の中には
守備に奔走するあまり攻撃にうまく絡めない選手も少なくありません。
それはチームでの役割を果たすのに手いっぱいの状態で、
結果的に本来持っているはずの自らの特徴を発揮できず
見失っている状態といってもいいと思います。
また、これはどのクラブでもそうですが、
緊張感から力を出せない若い選手も数多くいます。
「若いから」といって誰もかれもが「怖いもの知らず」という
わけではありませんからね。
当時のウッシーも守備はそんなお世辞にも上手いなんて
思いませんでしたが、
攻撃に切り替わる瞬間、出て行っちゃうんですね~。
何でしょう?あの判断力というのか割り切りの良さ。
それはルーキーとは思えない印象でしたよ。
弱点だったはずの右サイドが試合開始して間もなく
あっという間に強みに変わった感じがしましたから。
それもJKがじゃなくって、高卒ルーキーがですよ!(←しつこいくだりです・・・)
プレーの成熟につれてそれはハッキリとしていくことになるんですが、
当時はそこまでではなかったものの、
どことなく「右サイドからコントロールしている」印象さえありました。
もうデビューしてすぐにレギュラーは決まり!と確信できましたし、
それどころか煮え切らないシーズンが続いていた鹿島が
何か「最後のパーツ」を手に入れた、
大きく動き出す「原動力」を手に入れた感じさえしました。
たぶんなんですけど、
私の記憶では「これ来シーズン鹿島の優勝あるかも?」
と思いましたし、そう予感めいたものを感じた人は
少なくなかったんじゃないでしょうか?
もっとも戦力的な面で充実してきていた時期、
2001年以降の転換期から黄金世代を中心としたメンバーが
成熟してきていたってところが大きいんですけどね。
実際、ウッシーが加入して以降、
翌2007シーズンから鹿島はリーグ3連覇の偉業を成し遂げます。
ウッシーは不動のレギュラーとしてプレーしており、
左サイドバックの新井場徹さんと共に
左右のサイドバックは鹿島の武器となっていました。
その間、U-20ワールドカップ、北京オリンピックを経験し、
日本代表の常連にもなり、そのプレー同様に、
何か瞬く間に日本を代表する選手になっていったという印象です。
正直、出世スピードであったり、
築いた地位でいえば黄金世代を凌駕していたと思います。
それともう1つ驚いたのは人気です。
築いた地位もさることながらその人気は正直想像を超えてました。
確かに可愛らしい顔立ちだし、
女性からも人気は出るだろうな~とは思ってましたけど、
まさかまさかあんな「アイドル級」になるなんて
想像を超えてたというよりも想像さえできませんでしたよ。
だっていくら「イケメン」っていったって、
他にもいろんな「イケメン」はいるだろうし、
ウッシーの何があそこまで女性のハートをキャッチできたのか・・・・
こればかりは女性のみぞ知るというところでしょうか?
鹿島は3連覇はしたものの4連覇はできませんでした。
個人的にはその要因として、
ウッシーの移籍が大きく影響を与えたと思っています。
優勝すればするほど勝つのが難しくなっていくのは
チャンピオンたるものの定めです。
これは鹿島に限らず世界中どのクラブも、
どの競技であっても例外はありません。
4連覇をかけたシーズンは例年になく難しい試合運びが多かったと思います。
特に攻撃面では苦労していた印象です。
ただそれでもシーズン前半戦(確か首位だっけ?)、
きっちり優勝争いできていたのは持ち前の経験からくる勝負強さと、
バランスに保たれたディフェンスがあったからです。
苦しくとも最後の最後のところで踏ん張るのは
さすが鹿島といったところでしょう。
ただ鹿島はシーズン中に大幅な戦力ダウンを強いられます。
それがウッシーの移籍でした。
まずウッシーほどの選手の代わりというのは
そう見つかるものではないということもあって、
両翼のバランスこそが鹿島の強さと見ていた私にも
ウッシーの移籍は4連覇への黄色信号に映りましたし、
もう1人、鹿島はレギュラーで当時韓国代表でもあった
CBのイ・ジョンスも同じく夏に移籍しており、
鹿島はシーズン半ばにして4人のバックラインの内、一気に2人を失う形になっています。
これはこの後も続く日本サッカー界全体、
特に近年では鹿島が大きく影響を受けることになる問題ではあるんですが、
これが4連覇を逃した要因の1つであることは間違いないと思います。
(※ただ、この問題に対しては昨年2019シーズン、
横浜Fマリノスが素晴らしい対応で優勝をつかみ取っていると思っています)
もちろん2人の移籍がなかったからといって優勝できていたとはいいません。
この年、優勝することになる名古屋グランパスの戦力もまた
充実していましたし、ストイコビッチ監督の下でむかえる3年目で、
1つの集大成ともいえるシーズンでしたからね。
(私にとっては3年1クールみないな区切りがありまして)
ただです、こんなありもしない仮定の話をしても無意味なんですけど、
もし2人がいれば終盤脱落することもなく、
もっと競った優勝争いになっていたのではないかと思うところはあります。
(※鹿島は終盤、引き分けの連続で大失速してます)
いずれにせよウッシーが加入したタイミングで鹿島の3連覇が始まり、
ウッシーが移籍したタイミングで4連覇を逃したことを考えると、
これを単なる「偶然」で片づけることはできず、
彼の影響力や存在感の大きさがわかるような気がしてます。
とまあ入団の頃から私にとってウッシーは
とても気になる存在だったわけです。
もっともここまであれよあれよとあっという間に
スターダムを駆け上がっていくとは思いもしてませんでしたが・・・。
当然ですがデビューから気になってた選手ですから
海外へ移籍しても気になるのは変わりません。
さすがに全部観てきたわけではないけれど、
(環境とお金が・・・ここはネタにするぞ!ダゾーン!やってくれたな!)
それなりに観れる範囲では観てきました。
ディフェンスの選手だったってこともありましたが、
世界のトップレベルの中でどう対応していくのか?
という点はすごく興味がありましたから。
私の場合、日本人選手を観るとき、
攻撃の選手だと「どこまでやれるかな?」とワクワク感の方が強く、
守備の選手だと「大丈夫かな?」とちょっと不安まじりのドキドキ感が強い
感じで観てるんで、ウッシーの場合も「ドキドキ感」強めで観てましたね。
なのでウッシーが世界の超一流の選手と渡り合えてる姿を観れたときは
喜びもひとしおだったわけです。
それにしてもウッシーのときもそうでしたし、
今の冨安健洋選手もそうですけど、
本来なら順を追ってというか段階を踏まえていくところを
突き抜ける選手ってのはホント
2段階、3段階ぐらい平気で飛び越してスターダムを駆け上がるんですよね~。
このワクワク感!どうしてくれよう!
ちなみに久保建英選手は順を追ってというか
段階を踏まえている感じで観てます。
これはこれで良いんです。
どうも日本に帰国してからせかす感じがありましたから。
これはサッカーに限らず、何事においてもそうですけど
身体の成長と共に心と体のバランスが取れて、
頭の中が整理されていれば自然と形になりますから。
日本に限ったことではないんでしょうけど、
まるで10代で成功しないと
選手としてもう「大成しない」みたいな風潮を感じるときがあるんですが、
ハッキリ言って日本に限らず、10代で成功している選手なんて
世界中見渡したってほんの一握りですからね。
最初うまくいって騒がれたって消えていく選手も大勢いますし、
焦りなさんな!って感じですよ。
U-20ワールドカップなんか観ていたって、
どんな強豪国の選手であろうと、精神面の脆さ未熟さは多分に目にしますし、
「ああ~普通の10代だな~」なんて場面も数多くありますから。
サッカー選手としての成熟は人間としての成熟でもありますから、
クラブチームなら20代半ばぐらいでレギュラー掴むぐらいでも
問題はありませんよ。
そこからでもプロサッカー選手として10年前後はプレーできますから。
もちろん毎年新しく入ってくる選手がいて、
その都度辞めざるを得ない選手がいる、
入れ替えの激しい厳しい世界ですから、
結果も残せずのんびりできるわけではありませんけど、
それでも大成するまではある程度の時間が必要なのも事実ですし、
人による時間差も含め、遅咲きの選手も少なくないですからね。
よくサッカー選手の平均寿命で「20代前半」ってのも目にしますけど、
そんなのは数字上の統計であって、
現実世界を必ずしも反映しているわけではありませんし、
そんなこといったら世界中のクラブが若い選手だけになりますしね。
最後にウッシーについてもう1つ驚いたことがあります。
それは他の誰よりもタフな選手だったということです。
鹿島で不動のレギュラーを掴んだ頃、代表との兼ね合いもあってでしょうか?
鹿島、オリンピック、フル代表と3つ掛け持ちしていた時期もありましたし、
ストレスという話も聞きますが、
ウッシーは試合中にたびたび「嘔吐」する時期がありました。
試合中、走っては嘔吐する。
それは結構長い期間続いたと思いますが、
ウッシーは一度も弱音を吐くことも、
言い訳にすることもありませんでしたね。
プロなんだから当然といえば当然なんでしょうけど、
そこには絶対に休まない、チームに、勝利に貢献する気概のようなものを
テレビで観ながらでしたが感じ取ることができました。
それは引退へとつながるケガをしたときもそうです。
最終的に仇になったといえばそうなのでしょうけど、
その甘いマスク、細身でスマートな印象からは想像できないぐらいの
闘争心を秘めていたんですね。
長いリハビリ、もう無理かもと頭をよぎったこともあったのかもしれません。
しかし最後の最後までチームに貢献すること、
勝つことを何よりも考えていたんだろうと想像しています。
ウッシーを通してこれまで以上に世界を感じ、世界との距離を実感し、
また日本人の可能性を見ることもできました。
(攻撃の選手なら何が通用して何が通用しないのかは
ポジションを含めそれなりにわかってきてましたからね)
世界の頂点が近いようで遠いことも、
日本にとって戦術云々以前に根本的な人材育成が必要だということも含めて、
ウッシーの果たしてくれた役割は今後の日本サッカーにとって
きっとかけがえのない大きな財産となることでしょう。
そしてウッシーがデビューして以降、
好きなサッカーに、より一層の楽しみが増えたこと、
ドキドキワクワクする日常があったことは
私にとっても感謝の気持ちしかありません。
ウッシー本当におつかれさまでした。

最後は恒例のWikipediaで来歴を見てみましょう。
と思いきや文字数オーバーって・・・。
締まらないなぁ・・・・。