2020/08/22 12:41


美食アカデミー主宰



私の記憶が確かならば・・・

道場六三郎は和食の頂点に立ちながらも
世界各国の研究に余念がない、研究熱心な料理人。
キャビアやフォアグラなどの西洋料理食材、
皮蛋などの中華料理食材なども積極的に取り入れるなど、
型にとらわれないその独創性や自由な発想の料理を特徴とするスタイルは
まさに「日本料理界の異端児」、
和食のみならず日本料理界を代表する超一流の料理人である。







美食アカデミー主宰

『ようこそキッチンスタジアムへ。
今やラーメンと並び、日本の国民食として定着している「カレー」。
現在、日本中で愛されているカレーの起源は
明治時代にイギリスのカレーが伝わったことが始まりとされています。
時代を経て、家庭でも簡単に食される中で
独自の進化を遂げてきたカレーの味や種類は
もはや、各個人、各家庭ごとに存在するといっても決して過言ではないでしょう』

『そんな国民食であるカレー』

『そこで私は考える。
この男の作るカレーが食べたいと。

今宵、皆さまにご紹介するのは
まさしく「日本料理界の異端児」の異名にふさわしい料理・・・

さあそれでは発表します!今日のテーマはこれです!

今日のテーマ・・・』


バサーッ!




「銀座・ろくさん亭、料亭のまかないカレー!」



ジャンジャジャジャン!!




う~ん自分で書いといてなんですが懐かしい~!
(世代によってはピンとこないんだろうな~)

というわけで「料理の鉄人(風)」で入ってみましたが、
当時は正直びっくりしましたね。
それそこ漫画の世界でやっていたことを現実の世界でやっちゃうんだから。
しかも真剣勝負。
さすがに審査員のリアクションは「漫画」ではなかったけれど、
一流の料理人が腕を競って勝負するんだから見応えはありましたよ。
和・洋・中・それぞれの鉄人も印象的でしたが
なんといってもインパクト大だったのが美食アカデミー主宰だった鹿賀丈史さんでしょう。
※絵で顔隠している意味ないやん!
ブログのタイトルにも使わせていただきました「名台詞」といい、
独特のしゃべり口調が場を盛り上げ、
それがまた独特の緊張感と雰囲気を作り出していたんですよね。
審査員も様々で、審査結果に関しては今のご時世だったら何かと話題や問題に
なっていたのかもしれませんけど、
当時としてはまとまっていたんじゃないかな~?って印象です。
そもそもが超一流の料理人ばかりだしね。難しいよ。
もし今「料理の鉄人」的な番組をやるとすれば「鉄人VS挑戦者」のような「鉄人システム」じゃなくて、
「一流VS一流」でいいんじゃないかと思う。
ただし扱う食材は番組サイドが決めるって形で。(その場で発表ね)
まぁなんにしてもテレビ史に残る名物番組でした。

さて今回ご紹介するのはその「料理の鉄人」で圧倒的な強さを誇った
「和の鉄人」道場六三郎さんのお店、
銀座・ろくさん亭の「料亭のまかないカレーギフトセット」でございます。
では「道場六三郎」さんについて少し触れてみましょう。
相変わらず人の褌で相撲を取っておりますが・・・・


経歴
1931年1月3日、三男三女の末っ子として誕生。
「六人兄弟の三男」という意味で「六三郎」と名付けられた。
実家は老舗の山中漆器を扱う店であり、
地元が歴史のある有名な温泉街だったこともあって、
幼少時から料理に親しむ環境で育った。

山中尋常高等小学校を卒業した後、
17歳の時に知り合いの魚屋の手伝いに入り、初めて包丁を握る。
19歳で上京し、本格的に料理界に入る。
銀座「くろかべ」で料理人としての第一歩を踏み出し、神戸「六甲花壇」、
金沢「白雲楼」と修行を重ね、28歳で「赤坂常盤家」のチーフとなる。
1971年に独立し、高級惣菜店を開くも失敗に終わる。
その後、「新とんぼ」などを経て、銀座「ろくさん亭」を開店。

1993年より、フジテレビ系列の人気番組『料理の鉄人』に
初代「和の鉄人」としてレギュラー出演。
27勝3敗1引き分けの好成績を収めたことで料理人ブームの先駆けとなった。
しかし、1995年「高齢のために体力が衰えて鯛の頭を割れなくなった」のを理由に
引退を決意、翌1996年1月、番組を自ら降板した。
引退後もたびたびキッチンスタジアムに登場しており、
2012年12月31日時点での通算成績は40戦34勝5敗1引き分け。

日ごろから「食材に国境なし」と明言しており、
和食料理人でありながらキャビアやフォアグラなどの西洋料理食材、
皮蛋などの中華料理食材なども積極的に取り入れるなど、
型にとらわれない自由な発想の料理を特徴とする。
『料理の鉄人』では「日本料理界の異端児」とも称されたが、
実際に伝統的料理界から異端扱いされていたこともあるという。

2005年には卓越技能者(いわゆる「現代の名工」)として
厚生労働省から表彰されるなど、料理人としての確固たる地位を築いている
。その後も、毎月の献立は自ら厨房に立って創作している。

2006年には宮内庁より園遊会に招かれ、天皇(当時。現上皇)から言葉をかけられている。
2007年4月29日に旭日小綬章を受章。

2011年に80歳を迎え、旬の食材と向き合いながらこれまでに築いてきた
道場スタイルの和食をさらに模索する料理「道場旬皿」の創作を始めた。
和食の伝統を踏まえながら、食材の本当の味と向き合う独創的な料理に取り組む中で、
和食の伝統と新しい料理に挑戦する姿勢を次の世代に伝えたいと意欲を燃やしている。

現在は東京銀座にある「銀座 ろくさん亭」と「懐食みちば」の主人(オーナー)。
様々なイベントなどにも積極的に参加している。
道場ブランド、道場プロデュースの企画商品なども多数発売されている。

著書に『六三郎だんくら人生 わが半生の包丁奮戦記』があるが、
「だんくら」とは道場の出身地において主に若者のいたずら、
乱暴、言うことを聞かないなどの特徴を指し示す方言であり、
自身の考え方・生き方を表している。
グルメ漫画『美味しんぼ』にも岸朝子に紹介されるという形で登場(第46巻)。
作中でスッポン料理を披露した。

趣味はゴルフと小唄。
2004年に東京文化会館で開催された、
幼馴染の合唱指揮者辻正行の追悼コンサートにて郷里の民謡・山中節を歌っており、
このコンサートを収録したCDにもその模様が収められている。
魚を見ただけでその重さを言い当てる特技を持つ。
(※以上Wikipediaより)

毎度毎度おなじみのちり紙交換ならぬWikipedia頼りでございます。
(※今あるのかな?)


さて「まかないカレー」は「こだわりの鶏だしと炒めた牛肉で仕上げた
化学調味料不使用の和風カレー」、
そこにフリーズドライのスープ、お味噌汁が付いております。
(※わかめと油あげの味噌汁、きのこのお吸い物、たまごスープ、
ふかひれスープですがセットによって内容は異なります)

まさしく「和の鉄人」の名にふさわしいセットメニューですね。
カレーにしてもスープにしても
一口食べればきっとこう言うでしょう。

「おいしゅうございます」

と。

(※岸朝子さんは上品な食べ方をする人だったなぁ・・・これも名言なんだよね)